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国内生産製品(Made in Japan)せめて半分買おうよ!
 
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韓風03。。。総 目次。。。4ca3c6c7.gif
風の道草
 
このビデオは必見です
:
アメリカは金のためなら何でもやる
9.11同時多発テロは、アメリカ政府と一部財界の陰謀としか思えない
9.11同時多発テロはアルカイダとは無関係
ヨーロッパではテロ事件当初より疑問の声があったと聴きます
 
 
ビデオが終ると下にサムネイルの画像が並んで出ます
マウスポインターを当てると、ビデオ・ナンバーが表示されます
 
必見・お勧めです 矢印-右-2  No-1 YouTube ビデオ  & No-2 YouTube ビデオ
まあ、時間がある時に U-tube を視て下さい
 
 
国内生産製品(Made in Japan)せめて半分買おうよ!
The most important thing is to buy the product which was produced in the country≪ Made In Japan


民主党 :小沢一郎が国民に問う、時代の選択 「 弱肉強食時代と 格差社会問題 」、「 道徳欠如の身勝手人間 」など、その根源は何処にあるのか!!『 小沢一郎: 剛腕維新 』・・・( 角川学芸出版1680円 なり~!) ・・・・・ 『 小沢主義 』 「 志を持て、日本人 」 ( 1000円. ・集英社 ) 自由民主党の長期政権がもたらしたものは何か、国民一人当たり・700万の負債を背負わせて尚、腐敗した政権を維持しようとしている・・・・・本当の意味での民主主義が成熟できない問題点は何か!!


 自由民主党:長期政権の無策 
 
 
衆参ねじれ国会に於いて
 
 
 
自民党による長期政権の
 
 
無策ぶりが露呈した
 
 
そもそも、国民を見ずに
 
 
政権の維持と
 
 
利権に群がり
 
 
行政の管理能力も無く
 
 
官僚に支配され
 
 
官僚の答弁書を読み
 
 
ただただ、安穏と国政を動かしてきた
 
 
ここに来て、年金、医療、格差など
 
 
多種多様の問題が噴出している
 
 
自由民主党政権とは
 
 
その程度の政党でしかなかったと
 
 
国民は気付くべきだと思う
 
 
出来れば、もっと早い時期にね!!
 
 
 長期政権は 腐敗するが如し ≫
 
 
政権交代がない
 
 
議会制民主主義は
 
 
当然の如く
 
 
腐敗政治がはびこる
 
 
このような日本を
 
 
民主国家と言えるのか
 
 
自由民主党による
 
 
長期政権がもたらしたものは
 
 
膨大な債務( 借金 )を積み上げ
 
 
財政の硬直化をもたらした
 
 
 約 834兆円もの 国の借金
 
 
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道路建設の財源として
 
 
ガソリン暫定税率が
 
 
5月1日から復活した
 
 
ここにも道路財源に
 
 
群がる輩がいる
 
 
四国に三本の橋を架け
 
 
計画性の無い道を造り
 
 
その責任は誰も採らない
 
 
ある場所の道路建設では
 
 
計画の6倍もの予算を使った
 
 
殆んど、詐欺に等しいのに
 
 
その責任を誰も採らない
 
 
この様な無駄使いが無かったら
 
 
日本全国の道路網は
 
 
とっくに完成していた筈である
 
 
道路の建設期間を長引かせ
 
 
そこで蜜を吸う輩がいる
 
 
だから、政権交代によって
 
 
官僚政治を打破すると共に
 
 
自由民主党の長期政権を
 
 
国民のためにも
 
 
終わらせねばならない
 
 
”風の道草”
 
 
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文化・芸術

11月30日 秋篠宮さま、44歳に

皇族の数減少「国費負担面では悪くない」

秋篠宮さまは30日、44歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、ご夫妻で記者会見し、現行の皇室典範の下では皇族の数が今後減ることについて「国費負担という点からみますと、決して悪いことではないと思います」との見解を示された。

将来の皇室のあり方を巡っては、皇太子さまや自身の「意見を聞く過程も必要なのではないか」と述べられた。

皇族の減少で「活動や役割が先細りするのではないか」といった意見に、秋篠宮さまは憲法の定める国事行為のほかに公務の規定がないとして「その辺りのことを言うことは難しいように感じます」と発言。

国費負担の面では悪いことではないとの持論を説明された

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愛子様 8歳の誕生日

皇太子家の長女愛子さまは1日、8歳の誕生日を迎えた。学習院初等科の2年生となり、クラスでは「生きものがかり」を担当しているという。

宮内庁東宮職によると、係の仕事として金魚の世話をし、同級生からは「敬宮(としのみや)さん」と称号で呼ばれているという。

10月の運動会でリレーの選手に選ばれ、両親が見守る中、力走を見せた。

11月末の初等科祭では2年生全員で劇を披露、愛子さまは子どもの夢をかなえる魔法使いの役を演じた。

学校で習った漢字を帰宅してからも熱心に練習。入学前に始めたピアノとバイオリンのけいこも月に数回続けている。

ご一家で長年飼っていた愛犬「ピッピ」と「まり」が今年相次いで死んだ。

愛子さまは静養先に2匹の写真を持っていくなど思い出を大切にするとともに、4月から新たに飼い始めた雑種の犬「ゆり」にえさを与えたり、一緒に遊んだりしている

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「低姿勢過ぎる」 オバマ氏の天皇陛下へのお辞儀

天皇陛下への、お辞儀に米メディアが批判

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初訪日したオバマ米大統領が14日に皇居で天皇、皇后両陛下と面会した際、深々とお辞儀したことが「低姿勢過ぎる」と米ニュースサイトで物議を醸している。

保守系FOXテレビは15日、外国の要人に頭を下げるのは「米国の大統領として不適切」と批判した。

同テレビは、2007年2月に天皇陛下と面会したチェイニー副大統領(当時)は、握手だけでお辞儀はしなかったと比較。

「オバマ氏は(お辞儀が)日本人受けすると考えたのだろう」と皮肉った。

一部サイトは、オバマ氏が「ぺこぺこと頭を下げた」と非難した。

政治専門サイト「ポリティコ」によると、米政府高官は、お辞儀は外交儀礼だとして「政治問題化するのは的外れもいいところ」と一蹴(いっしゅう)した。 (共同)

*-* -私見-

確かに、握手した状態でのお辞儀は、オバマ・米国大統領としてアメリカ人には「低姿勢過ぎる」と色んな反論の意見が有っても別に何て事はない。

日本式に握手しないで、お辞儀することで事前にコンタクトが出来ていれば良かっただけの事だと思う

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両陛下が京都御所で茶会=即位20年

関西の200人出席

天皇陛下の即位20年に当たり、天皇、皇后両陛下主催の茶会が18日午後、京都御所で開かれた。

関西の各界から約200人が出席。天皇陛下は「皆さんが今後とも協力し合って、この地域のさらなる発展に努められ、人々が幸せに過ごしていかれるよう切に祈ります」と述べられた。

会場にはノーベル物理学賞の益川敏英氏や哲学者の梅原猛氏らも。

出席者を代表してあいさつした井戸敏三兵庫県知事は、阪神・淡路大震災に触れ「震災直後から節目ごとに被災地をご訪問いただき、人々を励ましてくださいました」と深く感謝した。

天皇陛下は同日夕、京都大宮御所で、人事院人事官(総裁)に就任が決まった江利川毅氏の認証官任命式に臨んだ。

宮内庁によると、皇居・宮殿以外での認証官任命式は平成に入り初めて。

昭和時代には那須や須崎の御用邸で行われたことがある

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“卑弥呼の宮殿?”現地説明会

邪馬台国(やまたいこく)が栄えた3世紀前半のものとしては最も大きな建物の跡が見つかり、女王・卑弥呼(ひみこ)の宮殿の可能性があるとして注目を集めている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で調査の成果を紹介する現地説明会が開かれ、大勢の考古学ファンが訪れました

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中島みゆきさん・紫綬褒章

体操塚原光男さんも-秋の褒章

政府は2日付で、2009年秋の褒章受章者678人(うち女性120人)と24団体を発表した。

栄典制度の改正があった03年の秋の褒章以来最少。

学術や芸術、スポーツ分野で活躍した人を対象とする紫綬褒章は、シンガー・ソングライターの中島みゆき(本名美雪)さん(57)や宮崎駿監督作品への楽曲提供で知られる作曲家の久石譲(本名藤澤守)さん(58)や、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール五輪の金メダリストである体操の塚原光男さん(61)らが選ばれた。

3日発令される。

紫綬褒章はこのほか、地方財政審議会会長を務める東大名誉教授の神野直彦さん(63)やチェロ奏者の堤剛さん(67)、陶芸家の十四代今泉今右衞門さん(46)らも受章した。

公共活動に貢献した人を対象とする藍綬褒章は、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズなどのゲームソフトを商品化した、スクウェア・エニックスの福嶋康博元会長(62)らが選ばれた。

受章者の内訳は、紫綬褒章が25人(うち女性2人)、長年業務に励んだ人への黄綬褒章が237人(同15人)、藍綬褒章が388人(同91人)、危険を顧みず人命救助に尽力した人への紅綬褒章が11人(同2人)。

慈善活動に取り組んだ人への緑綬褒章は17人(同10人)と24団体

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正倉院で「開封の儀」

聖武天皇の遺愛品などを納めた、奈良市の正倉院で2日、宝庫の扉を年に1度開く「開封の儀」が行われた。

紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)など収蔵品66件は、今月24日から11月12日まで奈良国立博物館(奈良市)で開かれる「第61回正倉院展」(奈良国立博物館主催、読売新聞社特別協力)で展示される。

天皇陛下のお使いの菊田豊侍従や杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長ら16人が、六つの扉の鍵に付けられた麻縄をはさみで切って勅封を解いた。

12月9日の「閉封の儀」まで収蔵品の調査や点検などを行う

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悠仁さま、3歳に

秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまは6日、3歳の誕生日を迎えられた。

宮内庁によると、身長は約94センチ、体重は13.6キログラムで健やかに成長。

食事や着替えも少しずつ自分でされるようになっているという。

この半年ほどで、言葉の表現も豊かになったといい、地図を見ながら「そこへ電車で行ってみたい」と話したり、電化製品のスイッチなどに興味を示して「これはどうするものですか」と質問したりされることも。

静養先などでは、同じ年ごろの子どもたちと楽しそうに遊び、皇居にいる馬に餌のニンジンを与えられるなど動植物への関心も高いという。

紀子さまと一緒に、自分が選んだ絵本を読んだり歌を歌ったりするほか、姉の眞子さまと佳子さまの学校が休みのときには、一緒にパズルやお絵かきなどを楽しまれている

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両陛下・結婚50年会見(全文)

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問1 夫婦二人三脚で歩んできたこの50年を振り返り、お二人で築きあげてきた時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代にどう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。

天皇陛下: 私どもの結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを誠にうれしく、深く感謝しています。

ただ国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。

顧みますと、私どもの結婚したころは,日本が、多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から、日本国憲法の下、自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて、国民生活が向上し始めた時期でありました。

その後の日本は、更なる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。

また都市化や海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は、人々の生活から離れた存在となりました。

結婚後に起こったことで、日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年の小笠原村の復帰と昭和47年の沖縄県の復帰が挙げられます。

両地域とも先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。

一方、国外では平成になってからですが、ソビエト連邦が崩壊し、より透明な平和な世界ができるとの期待が持たれましたが、その後、紛争が世界の各地に起こり、現在もなお多くの犠牲者が生じています。

今日、日本では人々の努力によって、都市などの環境は著しく改善し、また自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。

ますます人々が協力し合って社会を支えていくことが重要になってきています。私どもはこのように変化してきた日本の姿と共に過ごしてきました。

様々なことが起こった50年であったことを改めて感じます。

皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。

不幸にも若くして未亡人となった、私の姉の鷹司神宮祭主のことはいつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。

姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、あるとき、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのかというお話があったことがありました。

皇后は兄弟の中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。

私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。

しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。

時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来、昭和天皇を始め、過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、

また、日本国憲法にある「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。

象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。

なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。

この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀(さいし)もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。

新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。

したがって現在私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種籾をまくことから始めています。

学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども皇后と共に関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。

短時間ではありますが、受賞者、新会員皆と話をする機会が持て、私どもにとっても楽しいものになりました。

皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇の在り方としてその望ましい在り方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。

皇后さま: 50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心が一杯でございました。

今日こうして陛下のおそばで、金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。

結婚以来、今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらしたころには将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。

こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に深められ、国の出来事や人々の喜び悲しみにお心を添わせていらしたように思います。

50年の道のりは、長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。

陛下のお時代を、共に生きることができたことを、心からうれしく思うとともに、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに感謝を申し上げます。

質問の中にある「皇室」と「伝統」、そして「次世代への引き継ぎ」ということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。

また、皇室が過去の伝統と共に、「現代」を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。

伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります。

一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。

また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。

WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧(よろい)も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。

陛下のおっしゃるように、伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。

私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。

問2 お二人が知り合われてからこれまでにさまざまなお言葉のやり取りがあったと思います。

いろいろなエピソードが伝わっておりますが、陛下はどのようなお言葉でプロポーズをされ、皇后さまは陛下にどのようなお言葉を伝えてご結婚を決意されましたか。

銀婚式を前にした会見では、陛下は皇后さまに「努力賞」を、皇后さまは陛下に「感謝状」をそれぞれ差し上げられたいと述べられましたが、あらためて今、お互いにお言葉を贈られるとすれば、どのようなお言葉になりますか。

天皇陛下: 私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。

プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。

承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します。

結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。

皇后はこの度も「努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。

本当に50年間よく努力を続けてくれました。

その間にはたくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。

夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。

二人のそれぞれの在り方についての話合いも含め、何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。

皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活に、いつも笑いがあったことを思い出します。

また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。

私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。

語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓

婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。

結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。

皇后さま: たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。

とりわけ婚約のころのことは、50年を越す「昔むかし」のお話でプロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思い出すことができません。

また銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。

次の「夫婦としてうれしく思ったこと」。

このようなお答えでよろしいのか、嫁いで1、2年のころ、散策にお誘いいただきました。

赤坂のお庭はくもの巣が多く、陛下は道々くもの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の丈を少し短く切って、渡してくださいました。

ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、胸が温かくなります。

昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙な日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、様々に配慮なさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きを、どのような形で完成し、出版できるか、

また昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本を、どうすれば散り散りに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。

こうしたご配慮の下、平成元年の末には「皇居の植物」が、平成7年には「相模湾産ヒドロ虫類」の続刊が刊行され、

また平成5年には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が国立科学博物館に、平成7年には,鳥類の標本が山階鳥類研究所に、それぞれ無事に納められました。

「印象に残った出来事は」という質問を受け、このときの記憶がよみがえりました。

「結婚してよかったと思った瞬間は」という難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話しいたします。

春、辛夷(こぶし)の花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、そこに欲しいと思っていたとおりの美しい花がついておりました。

うれしくて、後に歌にも詠みました。

歌集の昭和48年のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。

この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としての、お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。

陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。

関連質問 両陛下は4月10日、今年結婚50年を迎えられるご夫婦をお招きになって茶会を開かれます。

これは両陛下のご発案と聞いておりますけど、どのようなお気持ちでこの茶会を開かれたいと思われたのかお聞かせ下さい。

( 2009/04/10 )

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源頼朝はニセものだった!?

初めての武士政権を樹立した平清盛は公家社会の頂点に立つことで、覇権を握った。

その平氏政権を倒した源頼朝は、武家社会の頂点に立ちながら国を統治した。

朝廷から独立した「幕府」の誕生だ。頼朝は鎌倉幕府初代将軍であり、江戸幕府崩壊までの700年に渡って続く幕府中心社会の始祖といえる。

武士として覇業を成し遂げた頼朝の「顔」というと、誰もが思い浮かべる肖像画がある。教科書でもおなじみの国宝「絹本著色伝源頼朝像」だ。黒い束帯を身にまとう、りりしい姿は武士の頂点に立った男の顔にふさわしい。

この頼朝像は同じ構図で顔の向きが違う平重盛像、藤原光能像とともに「神護寺三像」と呼ばれている肖像画シリーズの一つ。

絵自体に作者や像主を示す証拠はないが、三像が3氏であるとする通説は寺伝に残る記述の数々を根拠に生まれ、語り継がれてきた。

「神護寺略記」などによれば、三像以外にも後白河法皇像と平業房像の肖像画があった。

法皇は文治4(1188)年、同寺に仙洞院を寄進している。

4年後に法皇が死去すると同院には法皇像を中心に、4人の肖像画がかけられた。

法皇像は室町時代に写されたものが残っているが、原本は何らかの原因で散逸したと考えられている。

一定の年代以上の日本人は、通説に基づいた教科書で、これが頼朝の顔であると教えられてきた。

しかし最近の教科書は、「伝頼朝像」と書かれていたり、単なる鎌倉時代の肖像画として紹介されているケースもある。

日本人の脳裏にすり込まれた、りりしい頼朝の周囲に何が起きたのか。

平成7年、当時東京国立文化財研究所に在籍していた米倉迪夫氏(現・上智大学教授)が唱えた仮説が社会に大きな反響を呼んだ。

あの「源頼朝像」が別人であるとする仮説で、教科書の記述を揺るがしたきっかけの一つとなっている。

制作年代や作者について、通説を疑問視する声は昔からあった。

米倉説は目や耳の描き方から三像が14世紀中ごろの絵と推定したうえで、像主を覆すところまで踏み込む。

「重盛像」が足利尊氏で「頼朝像」は尊氏の弟・直義、「光能像」は室町幕府2代将軍・義詮であると主張する。

物的証拠として挙がったのが京都御所に残る足利直義の願文だ。

願文には「征夷将軍(尊氏)ならびに予(直義)の影像を図き、もってこれを安置す。

良縁をこの道場に結び、信心を末葉に知らしめんが為なり」と書かれていた。

米倉説は、文中の「影像」こそ三像であるとしている。

しかし直義願文で納めたとする肖像画は2幅。現存するもう1幅「伝光能像」の説明はつかない。

米倉氏は、「納入事由にはおのずと直義の画像納入事情とは微妙に相違する背景があろう」(『肖像画を読む』角川書店)と説明。

これに対し、文化庁主任文化財調査官を務めた宮島新一氏は『肖像画の視線』(吉川弘文館)の中で、「根拠薄弱と言わざるを得ない」と指摘、米倉説の問題点と通説の正当性を書き連ねている。

米倉説は光能像を義詮像と推定した根拠に、足利家の菩提寺・等持院(京都市北区)に残る義詮木像を取り上げた。

木像と肖像画を比較したところ、目やくちびるが似ているとする。

似てはいるが、木像は制作年代がはっきりしておらず、比較対象としてふさわしいかについては批判もある。

神護寺の谷内弘照住職も米倉説には冷ややかだ。

「頼朝の娘が亡くなると、寺の住職がお悔やみ文を送っています。

その返礼もありますし、頼朝の妻、北条政子からの手紙も残っています」。

頼朝と寺との親密さを伝える史料がある一方、足利家との関係の深さもうかがわせる史料は見つからないという。

仮説を補完する証拠はないが、通説を裏付ける完全な証拠もない。

論争で積み上げられた状況証拠を並べると、今のところあの頼朝像は、頼朝ではないか。

今まですり込まれてきた、りりしい姿であってほしいという思いもあるけれど…。


神護寺三像 

鎌倉時代の似絵(肖像画)の代表作で3幅で国宝指定を受けている。

「神護寺略記」によると作者は藤原隆信となっているが、筆致などから複数の絵師が関わっているとみられ、隆信が総指揮をとる形で制作されたとの見方がある。

米倉氏は神護寺略記に後白河法皇ら5人の名前の後に「等」という記述があることから、ほかにも多くの肖像画があった可能性を示唆しているが、この点については宮島氏も「傾聴すべき意見」と評している

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